身内に不幸があった場合、少し前までは自分の親でも祖父母であっても、お通夜、お葬式の案内は知り合いにはとりあえず全員お知らせする、というのが一般的な価値観でした。

生前の人柄が表れるお葬式
生前の人柄が表れるお葬式
生前の人柄が表れるお葬式

現代のお葬式「家族葬」について

身内に不幸があった場合、少し前までは自分の親でも祖父母であっても、お通夜、お葬式の案内は知り合いにはとりあえず全員お知らせする、というのが一般的な価値観でした。知らせを受けた側も、知り合いの身内のお通夜やお葬式に行かないというのは不義理にあたりますので、万障繰り合わせてでもお通夜だけでも参列させてもらう、というのがよくあるパターンだったのではないでしょうか。これだけ「クールビズ」という考えが浸透して、ジャケットを着る機会がほとんどなくなった時代であっても、不幸の知らせというのはいきなり予告もなく訪れるものですので、黒のジャケットだけは常にロッカーに一式準備をしている、というビジネスマンの方も多かったのではないでしょうか。

さて、ここ数年で一気に浸透してきた「家族葬」という形態ですが、これは日本人特有の気配りとでもいうべき、相手への気遣いのあらわれといえるでしょう。たとえつきあいが浅くても、呼ぶ側、呼ばれる側双方とも「義理事」というのはお互いいろいろ気を遣いますので、このあたりをやんわり避けるために、「身内だけで済ませるため」という理由を立てて、実際に濃い親族だけで弔いを済ませてしまうという形式です。表現が些か不適切かもしれませんが、これが現代日本人の価値観にピッタリとハマったため、一気にこのような流れに傾いたのではないかと思われます。

かつて多くの人が弔いの場に集まるのは、故人を偲ぶというという目的はもちろんですが、遺された者たちのために、今後のことを話し合ったり、絆を確かめ合ったりする「縁の場」という重要な目的もありました。家族葬が浸透することで、「縁」という大切なものが徐々に希薄になりつつあるのではないでしょうか。